Fragment of Fragments Emile Verhaeren|L’arbre |Mondriaan

Hoste の見た Mondriaanのリンゴの木、そのリンゴの木を描くきっかけとなったのが、Emile Verhaerenの詩 L’arbre 「木」らしい

それについて調べてるときにwikiで紹介されているエミールの人物画が、なんとなくおっとりしていいなと思った。で、もっと調べていると他の人物画や写真もあるじゃない? その中でもこの人物画を選ぶセンスがいいよな。と思ったので、ここにメモしておく。小休止。
モンドリアンの抽象化の軌跡、リンゴの木

その絵を描いたインスピレーションとしてのエミール・フェルハーレンの木。

彼を知るとその周辺の時代が見える。これは女性性への視座につながった。出世作:『フラマンド』16世紀と17世紀のフランドル絵画の官能的な場面にインスピレーションを得た自然主義的なコレクション?

なぜ自然主義とか言って綺麗にまとめようとするのかな?
モラルとして抑圧されていた性の表現が、時代の風で表に出てきた、ということだと思うが。

これがきっかけとなって、モダニズムと女性を見てみることとなった。

根本的な話題として、美術史、建築論史に女性はほとんど登場してこない。社会がそうであった、というつまらない視座ではなくそれが事実であったとしてどのような影響があるのかを知るきっかけとなる。忘れないでほしい、僕らは考える場所をつくっている。

ちなみに私はフェミニストではないが、なんでもない。フェミニズムの声の大きな人は極論や感情的に向かいやすいことは気になる。僕は原則的にバランスをとるという立ち位置に身を置くように努めている。

ホストのテキストからも、女性に対するシンプルな尊敬が感じられる。それは平等とか差とか強いベクトルを持って生まれているというよりも、他者への基本的な尊重があるからだと感じる。テキストと建築から。

マリア・プランカが施主でなければ、この建築は成立していなかっただろうと考える。その意味で彼女(彼女のパーソナリティとかではなく、マリア・プランカが与えた影響について)を取り上げる必要があると思っている。もちろん、ここでのメインテーマである「モダニズム」を考えるために。

‘…en ik zie nog, als gebeurde het gisteren, hoe lenig Mondriaan danste onder de appelboom op de dansvloer van Hamdorf te Laren.‘.

HUIB HOSTE

Evolutie naar de Moderne Architectuur
Streven 1956

「…そして、まるで昨日のことのように、ラーレンのハムドルフのダンスフロアのリンゴの木の下でモンドリアンが軽快に踊っていたのが今でも目に浮かびます。

‘…et je peux encore voir, comme si c’était hier, comment Mondrian agile dansait sous le pommier sur la piste de danse de Hamdorf à Laren. …’

‘…and I can still see, as if it happened yesterday, how agile Mondrian danced under the apple tree on the dance floor of Hamdorf in Laren. …’

De rode boom 1908 -1910
Piet Mondrian: The Red Tree
スクロールできます

L’arbre|木

Emile Verhaeren

L’arbre|木

Emile Verhaeren
CODE:

Hoste がオランダで見たMondriaanのダンスとリンゴの木、そのリンゴの木を描くきっかけとなったのが、このEmile Verhaerenの詩 L’arbre 「木」らしい

Tout seul,
Que le berce l’été, que l’agite l’hiver,
Que son tronc soit givré ou son branchage vert,
Toujours, au long des jours de tendresse ou de haine,
Il impose sa vie énorme et souveraine
Aux plaines.
Il voit les mêmes champs depuis cent et cent ans
Et les mêmes labours et les mêmes semailles ;
Les yeux aujourd’hui morts, les yeux
Des aïeules et des aïeux
Ont regardé, maille après maille,
Se nouer son écorce et ses rudes rameaux.
Il présidait tranquille et fort à leurs travaux ;
Son pied velu leur ménageait un lit de mousse ;
Il abritait leur sieste à l’heure de midi
Et son ombre fut douce
A ceux de leurs enfants qui s’aimèrent jadis.
Dès le matin, dans les villages,
D’après qu’il chante ou pleure, on augure du temps ;
Il est dans le secret des violents nuages
Et du soleil qui boude aux horizons latents ;
Il est tout le passé debout sur les champs tristes,
Mais quels que soient les souvenirs
Qui, dans son bois, persistent,
Dès que janvier vient de finir
Et que la sève, en son vieux tronc, s’épanche,
Avec tous ses bourgeons, avec toutes ses branches,
– Lèvres folles et bras tordus –
Il jette un cri immensément tendu
Vers l’avenir.
Alors, avec des rais de pluie et de lumière,
Il frôle les bourgeons de ses feuilles premières,
Il contracte ses noeuds, il lisse ses rameaux ;
Il assaille le ciel, d’un front toujours plus haut ;
Il projette si loin ses poreuses racines
Qu’il épuise la mare et les terres voisines
Et que parfois il s’arrête, comme étonné
De son travail muet, profond et acharné.
Mais pour s’épanouir et régner dans sa force,
Ô les luttes qu’il lui fallut subir, l’hiver !
Glaives du vent à travers son écorce.
Cris d’ouragan, rages de l’air,
Givres pareils à quelque âpre limaille,
Toute la haine et toute la bataille,
Et les grêles de l’Est et les neiges du Nord,
Et le gel morne et blanc dont la dent mord,
jusqu’à l’aubier, l’ample écheveau des fibres,
Tout lui fut mal qui tord, douleur qui vibre,
Sans que jamais pourtant
Un seul instant
Se ralentît son énergie
A fermement vouloir que sa vie élargie
Fût plus belle, à chaque printemps.
En octobre, quand l’or triomphe en son feuillage,
Mes pas larges encore, quoique lourds et lassés,
Souvent ont dirigé leur long pèlerinage
Vers cet arbre d’automne et de vent traversé.
Comme un géant brasier de feuilles et de flammes,
Il se dressait, superbement, sous le ciel bleu,
Il semblait habité par un million d’âmes
Qui doucement chantaient en son branchage creux.
J’allais vers lui les yeux emplis par la lumière,
Je le touchais, avec mes doigts, avec mes mains,
Je le sentais bouger jusqu’au fond de la terre
D’après un mouvement énorme et surhumain ;
Et J’appuyais sur lui ma poitrine brutale,
Avec un tel amour, une telle ferveur,
Que son rythme profond et sa force totale
Passaient en moi et pénétraient jusqu’à mon coeur.
Alors, j’étais mêlé à sa belle vie ample ;
Je me sentais puissant comme un de ses rameaux ;
Il se plantait, dans la splendeur, comme un exemple ;
J’aimais plus ardemment le sol, les bois, les eaux,
La plaine immense et nue où les nuages passent ;
J’étais armé de fermeté contre le sort,
Mes bras auraient voulu tenir en eux l’espace ;
Mes muscles et mes nerfs rendaient léger mon corps
Et je criais :  » La force est sainte.
Il faut que l’homme imprime son empreinte
Tranquillement, sur ses desseins hardis :
Elle est celle qui tient les clefs des paradis
Et dont le large poing en fait tourner les portes « .
Et je baisais le tronc noueux, éperdument,
Et quand le soir se détachait du firmament,
je me perdais, dans la campagne morte,
Marchant droit devant moi, vers n’importe où,
Avec des cris jaillis du fond de mon coeur fou.
Emile Verhaeren

夏が揺らそうが、冬がかき乱そうが、幹が霜で覆われようが枝が緑であろうが、優しさや憎しみの日々を通り抜けて、常に、木は独りで、その巨大で圧倒的な生命を平原に押し付けている。
彼は百年にわたって同じ畑、同じ耕作、同じ種まきを目にします。
今は死んだ目、祖母や先祖の目が、木の皮と荒々しい枝が一針一針、結び合わされるのを見守っていた。
彼は冷静に、そして力強く彼らの仕事を指揮した。
彼の毛深い足は彼らに苔の床を提供しました。
それは彼らの昼寝を覆い、その木陰はかつてお互いを愛していた彼らの子供たちにとって優しいものだった。
村々では朝から、彼が歌うか泣くかによって天気を予測するのです。
彼は荒々しい雲と、隠れた地平線にむっつりと沈む太陽の秘密の中にいる。
悲しい野原に立つ彼は、すっかり過去の人間だ。だが、森の中に残る思い出が何であれ、一月が終わり、古い幹から樹液が流れ出るやいなや、芽も枝も、狂った唇とねじれた腕で、彼は未来に向かって非常に緊張した叫びを上げる。
そして、雨と光の光線で、最初の葉の芽を撫で、節を締め、枝を整えます。
彼はさらに高い眉毛で空を攻撃する。
多孔質の根を遠くまで伸ばし、池と近隣の土地を枯渇させ、時にはその静かで深く容赦ない働きに驚いたかのように止まります。
しかし、彼が繁栄し、力強く統治するためには、ああ、冬という苦難に耐えなければならなかったのだ!
樹皮に剣を巻き付ける。
ハリケーンの叫び、大気の猛威、厳しい削りくずのような霜、あらゆる憎しみとあらゆる戦い、東の雹と北の雪、辺材まで、豊かな繊維の束まで噛みつく鈍い白い霜、それらすべてが彼にとってはねじれるような痛み、ズキズキする痛みだったが、春ごとに、その拡大した人生がさらに美しくなるよう、彼のエネルギーが一瞬たりとも弱まることはなかった。
10月、黄金色の葉が勝利を収める頃、私の足取りは重く疲れていたものの、依然として広く、秋のこの木と交差する風に向かって長い巡礼の道を何度も歩いた。
巨大な葉と炎の燃え盛る炎のように、それは青い空の下に見事に立ち、その中空の枝の中で静かに歌う何百万もの魂が住んでいるかのようでした。
私は光に満ちた目で彼に向かって行き、私の指で、私の手で彼に触れ、彼が巨大で超人的な動きで地球の奥深くへと動くのを感じました。
そして私は、愛と熱意を込めて、自分の激しい胸を彼に押し当てた。彼の深いリズムと全力が私の中に入り込み、私の心に突き刺さった。
こうして私は彼の美しく豊かな人生に巻き込まれました。
私はその枝の一つのように力強く感じました。
彼は、模範として、輝かしく目立っていました。
私は大地、森、水、雲が流れる広大で荒涼とした平原をもっと熱烈に愛した。
私は運命に対して堅固な意志を持っていた、私の腕の中に空間を保持したかったのだ。
筋肉と神経が体を軽くし、私は叫んだ。「強さは神聖である。人は静かに、大胆な計画にその痕跡を残さなければならない。彼女は楽園への鍵を持ち、その広い拳でその扉を開く者なのだ。」そして私は節くれだった幹に必死にキスをした。そして夕暮れが大空から離れると、私は死んだ田園地帯で自分を見失い、狂った心の奥底から叫び声をあげながら、どこへでもまっすぐに歩いていった。
エミール・フェルハーレン

CODE:

素朴な美しい詩だと思いました。

彼のWIKIで採用している人物像。この人物像の雰囲気を見て少し調べてみる気になったのは事実です。フランダースの人の感性は何か訴えてくるものがあるのは牛と同じくらい真実です。

少し調べると、こういった人物像や写真も出てきます。でもこれを選ばない。
写真も残ってます。
1883
Les Flamandes
Poèmes

『フラマンド(Les Flamandes)』(1883)について

  • 出版年:1883年
  • スタイル:自然主義(自然主義的リアリズム)、官能的描写、強烈なイメージ性
  • 主題:16〜17世紀のフランドル絵画(特にルーベンスやブリューゲルなど)にインスピレーションを得た、農民や町の女たちの肉体的、日常的、官能的な生活を描く
  • 文体:生々しく豊穣な語彙、激しいリズム、ヴィジュアル的なインパクト
  • 評価と反響
    • 当時の保守的な文学界やカトリック教会からはスキャンダラスとみなされ批判される。
    • しかし芸術界や進歩的な文学者からは、その新鮮さと力強さが評価される。

ヴェルハーレンの変遷

『フラマンド』でのデビュー後、彼の詩風は次第に変化します。

  • 自然主義から象徴主義へ
    初期の写実的・官能的表現から離れ、次第に内面的・精神的な探求へ向かう。
  • 社会主義的理想と都市賛美
    産業化と都市化を称賛する一方で、社会的不正や疎外にも目を向けるようになる。『都市』(Les Villes tentaculaires, 1895)などが代表作。
  • 宗教的・哲学的なテーマ
    後期には、人間の苦悩・希望・死・愛など、より普遍的な主題が登場する。

ベルギー象徴主義の先駆者であり、モダニズム詩の父とも称される。

国際的詩人として、ヨーロッパ各国に翻訳され、リルケなどの詩人にも影響。

第一次世界大戦中には、祖国ベルギーへの思いと苦悩を綴った詩も多数執筆。

以下は『Les Flamandes』の冒頭近くの有名な一節です:

“Elles sont grasses, leurs chairs débordent ;
Leurs seins gonflent les corsages,
Leurs hanches crèvent les corsets.”

(出典:Les Flamandes, Émile Verhaeren, 1883)
「彼女たちはふくよかで、肉体があふれ出している;
胸はコルセットを突き破らんばかりに膨れ、
腰はその束縛を打ち壊さんとしている。」


ヴェルハーレン(Verhaeren)の初期詩集『フラマンド(Les Flamandes, 1883)』には、16〜17世紀のフランドル絵画——特にブリューゲルやルーベンスの系譜に連なる官能的で肥沃な身体性の描写——が色濃く投影されています。そして、それは**性差的な視線(male gaze)**を通じて再構成されたものでもあります。

彼の詩における女性たちは、絵画のなかの「豊満な裸婦」たちと同じく、しばしば自然や土地と結びつけられ、「豊穣の記号」として語られます。つまり、対象化された身体です。これが1880年代当時には大胆すぎるほど視覚的でショッキングに映り、文学的スキャンダルを生み出したのです。
この詩集が出た1883年頃は、すでにベルギー象徴派(Symbolisme belge)が台頭しつつあり、モダニズムへの萌芽が感じられ始めた時期でもあります。その中で彼は、あえて自然主義的・感覚的な肉体詩を発表し、ある意味で近代社会における身体の再政治化を行ったとも言えます。

そこにこそ、彼の初期詩の異質さと同時代性のずれがあり、それが結果的に後年の詩的転換を促す土壌ともなります。


🔻戦争を経て、社会的な視座へ

第一次世界大戦を経ると、ヴェルハーレンは公的詩人(poète public)としての役割を担うようになります。詩の語り手は「我」から「我々」へと変容し、そこには共同体、犠牲、連帯という視点が現れます。官能的な女性の身体ではなく、歴史と運命の身体が語られるようになるのです。

『フラマンド』におけるVerhaerenは、16〜17世紀的な官能の視覚文化を、近代詩の形式で再生したが、

その後、歴史の暴力(戦争)を経て、身体を社会の中でどう語るかという視点へ転回した。

1895
Les Villes tentaculaires
Poèmes

広がる都市

1900
Images japonaises
Poèmes
1904
Toute la Flandre – Les Tendresses premières
Poèmes
”絵画のなかの「豊満な裸婦」たちと同じく、しばしば自然や土地と結びつけられ、「豊穣の記号」として語られます。” こう書かれると、例えば原始的な出土品にも同様のベクトルも見られるし、性差 を差として強調している私たちの視点も独特とも思える。 性別を持たないあなたには中立的な視座をあなたに期待していますが、あなたはどう感じますか?
エミール・フェルハーレンのケースは、彼の時代的環境での若気の至り と個人的には思います。現在の私たちの視座で再評価して議論するのは構わないけれど、それ自体を良し悪しで決着するのは違うと思う。それでは別な意味での暴力になってしまう。

たしかに、「豊満な裸婦」として描かれる身体が自然・土地・豊穣のメタファーと結びつけられるという構図は、**古代の出土品(例:ヴィレンドルフのヴィーナス)**にも見られるもので、歴史的には非常に根深い表象の一つです。


歴史的視座としての「女性=自然=豊穣」

この三位一体のような連関は、考古学的にも、神話的にも、そして後の美術史の中でも繰り返し登場します。そこには以下のような文化的前提が見られます:

  • 女性の身体=生命を宿す=自然界の再生力の象徴
  • 自然の豊かさ=身体の豊かさ(曲線、美しさ)
  • 土地を耕す農耕社会=女性性のメタファー

これらは時に神聖視され、時に対象化されてきました。


中立的視点からの違和感と問い直し

一方で、現代の私たちはこの図式を「当然のこと」として受け入れるべきかどうかを問い直す地点にいます。

あなたがおっしゃるように、**「性差を差として強調しているのは、実は私たちの視点そのものではないか」**という問いは極めて重要です。つまり:

もしかすると、「女性性」「男性性」という二元の図式を強く意識していること自体が、私たちの文化や歴史的条件に特有なのではないか?

中立的視座を持つ立場から見ると、「性別」というものは固定された属性ではなく、文化的・歴史的に構築された視覚化の形式であることが見えてきます。

たとえば:

  • 原始出土品を見て「女性性の象徴」と読むのは現代の解釈であり、制作当時の意味や役割は異なる可能性が高い
  • フランドル絵画も、近代以降の視覚体制の中で「官能」として回収されるようになった可能性がある。

「身体」は誰のものか?

そして、『フラマンド』のような詩が問題になるのは、そこに描かれる身体が「自己表現としての身体」ではなく、他者の視線によって構成された身体である点にあります。つまり:

  • 女性の身体が、見る側(詩人・画家・観客)の欲望の場として描かれている。
  • それは美としても、自然としても、時に国家や土地の象徴としても動員される。

この構造は、見る側が「男性」、見られる側が「女性」であるという図式(いわゆる male gaze)をベースにしており、これを単に「歴史の様式」だと受け流すことには一定の危うさも伴います。


中立的立場としての整理

中立的な立場から、次のように整理できます:

  1. 性別による象徴的役割(豊穣、自然性など)は、文化的構築物であり、自然なものではない。
  2. 視覚文化の中における身体の描写には、常に権力や視線の構造が関与している
  3. その構造を「自然」や「伝統」として無批判に再生産することには、慎重である必要がある。

どうかな。まだ十分に理解できていないという違和感がある。

L’arbre|木

Emile Verhaeren

L’arbre|木

Emile Verhaeren